もし大地震が起きたら!?
2007.7.16新潟県中越沖地震の被災地であるわが柏崎市
報道等でみさなんご存知かとは思いますが中国の大地震があり、日本でも岩手・宮城内陸地震が発生するなどいつ起こるか分からない状況にあります。クレヨンは大きな被害もなく良かったのですが報道されていた被災地に住んでいますので、地震の大きさや揺れ方、地形等々被害の状況はさまざまであると思いますが新潟県中越沖地震を体感して感じた事など少しでも参考になればと思います。
もし大地震が起きたら? |
・地震発生時、立っていられないくらいの揺れの為、無理に屋外へ逃げると転倒等の危険がある。出来るだけ落下物に気をつけて動かないのが良いと思う。
・地震直後とりあえずゆれがおさまったら屋外の安全な場所へ。余震がいつくるか分からない。 ・道路が通れるかわからないため出来る限り車の使用はしない。もし車に乗る必要がある場合は路面の状態をよく確認しながら徐行運転とする。 ・路面はマンホール廻り、橋の両端、土手に面した箇所、水が湧き出ている箇所は特に段差・陥没が見られるため注意する。 ・安否確認は地震発生直後すぐになら電話がつながる可能性があるが一旦不通となると当分つかえない。しかしメールが使える可能性があるためメールを活用する。また、メールもつかえなくなるためドコモの災害伝言板というサービスもあるようですのでそれを利用するのもいいかも。 ・情報収集が必要。避難所の状態や飲食店の情報、自衛隊をはじめとする入浴施設に関する情報、ゴミの収集について、罹災証明発行に関してや減税等の申請に関してなどなど・・テレビでは被災地の映像を中心とした活断層についてのような事しか言わない。 ・職場等思わぬところで見舞金の申請が出来る場合があるので地震にて壊れたものなど写真に撮っておいたり買い換えたもののレシートをとって置く。 |
中越沖地震発生時の状況 | |
![]() ![]() ![]() ※地震発生後半年以上過ぎた写真の為実際はもっと被害が大きい箇所が多数ありました。 |
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はじめに |
3年前になる2004年10月23日17時56分に新潟県中越地方においてM6.8最大震度7の地震が発生した。
クレは仕事中でしたが大きな揺れを感じ、帰りは深夜2時ごろだったと思います。柏崎は震度5弱だったかと思います。 停電により街中真っ暗で信号機も消えていました。 柏崎は大きな被害はなかったのですが68人の命を奪い、山古志村をはじめ中山間地を中心に大きな被害を出した。 数日後クレの家の前のマンホールの周りが沈んでおり、そこへ銀行員のバイクが突っ込みクレの目の前で転倒!大きなケガはないようだったが大事をとって救急車を呼んであげた。 その日の午後には沈んでいた箇所は仮復旧したいらになっていた。 十数年前に福島県から新潟県柏崎市へ移り住んでいるが福島より地震がずっと少ない事に驚いていた。 このときこのような大地震が来て驚いた。 新潟地震から30年ほど経っているらしく、みんなあと30年後にはまた大地震が来るだろうといっていた。 |
地震発生直後 |
その日は海の日ということで祝日であり、クレもみゆとじじ・ばばと家で遊んでいた。ともは仕事。
職場の同僚から仕事に関しての電話が入り、「休みなのにお疲れ様ぁ〜」と笑って電話を切った。 10時13分 揺れを感じて地震か?と一瞬思った直後すごい揺れが!!がしゃんがしゃんと食器やら棚の上のものやらが落ちてくる。三年前の中越地震の記憶が蘇るが揺れの大きさは比較にならない。 立って歩ける状態ではない。 クレはみゆを抱いて居間でしゃがむのが精一杯。足元に茶箪笥が倒れてきたがギリギリあたらず。 じじは階段にいたらしく階段から足を踏み外して落ちた。幸いケガはない。 机の下にかくれる暇があるだろうか!?窓を開ける暇があるだろうか?? 揺れは数十秒続いたと思う。揺れが落ち着いてから外へ! 近所の人もみんな出てきている。 みゆは泣くこともなかったが驚いているようだ。 市内に地震発生・注意喚起の放送が響く。 近所でガスがもれているらしいとの話があった。 しかし倒壊している家はないようだ。 余震が怖いので家の中には入りにくい。 数十分たってから部屋の中を片付ける。外はヘリコプターの音が響いている。 電気がきていたのでテレビは地震前からついたままだった。地震についての速報が流れている。ヘリコプターからの映像が流れている。原子力発電所の変圧器の火災や倒壊している家屋がうつっている。 風呂の水は揺れで廊下までびしょびしょになっていた。 食器棚は倒れなかったが中の食器はほとんど下に落ちて割れていた。 各部屋の棚の上のものはことごとく落ちて散乱しており、どこから手をつけてよいものか悩む。 とりあえず居間の茶箪笥をおこして散乱しているものはダンボールに詰めた。 ご飯炊いてあったので良かったと思ったがジャーごとご飯は無残な姿に・・ ガスは地震によりメーターのところで自動で止まる仕組みになっている為でない。電気も停電することなくきている。中越地震の時は停電が続いた。 ともはメールも使えなかったため公衆電話にて家へ電話してきた。無事が確認できたが職場も大変なようだ。 クレも会社に向かおうか悩んだがみゆもいるため家に残る事にした。(本当です(笑)) |
地震数時間後 |
だんだん被害が明らかに。テレビは市内の倒壊した家が何度も放送されている。ガスはガス管の損傷が激しい為当面使えないようだ。
また、市内外のいたるところで道路の陥没等があり、通行できないところも多くあるとのこと。 クレの家ではガスコンロ・風呂釜・ガス炊飯器・ガス乾燥機が使えない。 ガスコンロはカセットボンベ式のがあるし炊飯は電気炊飯器があったので良かったがお風呂に入れない。 近所のスーパーの裏口でおにぎり・パン・飲み物について無料で配っていた。お客にと言うより近所の方々へという感じであった。口コミで近所の人が集まっていたためほんと近くの人はすぐ分かったが少し離れた家の人まで情報が伝わったかはわからない。 クレの家はリフォーム中であり、外壁もなくすごい被害のようだ(笑) そうこうしているといつも来ている大工さんがカセット式のガスコンロ・カセットボンベ数本・水ペットボトルにて数本・小型発電機等を持って駆けつけてくれた。 とても感動した。 と言うのも大工さんは十日町市に住んでおり、柏崎市までくるには3、40分はかかるはず。また道路状況も悪い中来てくれたことはとてもうれしかった。 十日町は以前の中越地震の時に大きな被害があった地域であり、必要なものもわかっていたようだ。 リフォーム終わるまで社宅も借りていた為、社宅を見に行った。 駐車場には社宅の方々が集まっていた。クレを見ると「とにかくすごいんで足元気をつけてくださいね」と注意してくれた。 実際部屋に入るとやはり食器棚は倒れ食器は全て床に落ちて散乱しており、棚のものも床に散乱していた。とても手をつけられる状態ではないのでそのまま社宅をあとにした。 実家に連絡入れるのを忘れていた。電話は通じない。携帯はどうだったか・・あとから早く連絡よこせと言われた。(笑) 実際クレの家は被害的にはさほど大きくは無く、ケガ人もいなかったので連絡するのを忘れていた。テレビは被害の大きいところを報道するため実家の方でもとても心配していたとのこと。 そらにはヘリコプターがたくさん飛んでいる。非常にうるさい。 もらってきたパン・おにぎりを食べる。 市内の体育館などに避難所が設置された。クレの家では避難所に行く事はなくてよかった。 水道水は配管が壊れているため断水。 近所でも道路のあちこちで水が出ている。 また、道路はマンホールの周りは大きく陥没している他、橋の両端は段差が出来ている。車の運転は慎重にしなくてはいけない。 ともが仕事から帰って来た。 道路沿いの家も何軒も倒壊している家屋があるとのこと。道路もでこぼこ。 多少の余震はあるものの、中越地震のときほどはなかった。 |
次の日以降 |
仕事であったため会社に向かった。道路の陥没や倒壊した家屋をみて地震のすごさを実感した。 事務所はほぼ壊滅状態。机の上のパソコン、資料がすべて床に散乱し机も倒れたりラックが倒れたり・・ 職場も水が出ないのでトイレに流す水を運んだりしていた。また、浄化槽が壊れているらしくてトイレも使用制限がかかり工事現場にあるような仮設トイレが設置された。 4日後クレの家の水道が復旧。しかし当面飲料水としては使用しないで下さいとのこと。 市内も水道管があちこちで破損しており、それによる陥没等が懸念される事からその後水道も使用中止へ。また、下水配管も破損が大きくあまり排水しないようにとのこと。 お風呂に入れないのでポリタンクにアウトドア用の手動ポンプのシャワーをつけてヤカンにお湯をわかして水にお湯を足して体を洗った。 ガスカセットももったいないので水で体洗ったことも・・・ トイレの水は雨水溜めたの使ったりしたが、ちょうどリフォームの職人さん用仮設トイレが庭に設置されていたので助かりました。 市内では地域により電気が来ているとこ来ていないとこ、水が出るとこでないとこ、ガスが出るとこでないとことあり、復旧にも早い遅いがあった。 早くに復旧した知り合いの家にお風呂はいりに行ったりしたことも。 街を歩いてみると倒壊している家屋はやはり昔からの家がや小屋などが多いようだ。 また、家の周りの石垣はかなりの家で倒れていた。 商店を経営している家では仮店舗等の対応が目立った。 市内のメインの商店街のアーケードが全て落ちていて歩道も凸凹がすごかった。 市内の放送で復旧状況や避難所の状況、自衛隊の炊き出しやお風呂の情報など頻繁に情報を流していたが、地元放送局であるFMピッカラではもっともっと詳しい情報がタイムリーに発信されていた。再開した食堂の情報などは特に助かりました。 意外と食堂や床屋の情報は知らない人も多いようで、結構早くから再開しているところもあった。 洗濯物は十日町市のコインランドリーまで持っていった。かなり混んでいるとの話であったが大工さんに空いているコインランドリーを教えてもらって助かった。 また、近隣市町村の入浴施設も柏崎市民については無料で開放しているところもかなりの数あったが、施設によっては身分証明書が欲しかったりで行っても利用できない場合もあった。 避難所では連日猛暑により暑く、寝るに寝れない人が多くいたとのこと。 また、避難所によって配給される食事に差があり、自衛隊の炊き出しがある避難所はかなり混雑していたが毎日同じ弁当の場所は空いていたとのこと。 市内の建物には赤・黄・緑の紙が貼られ、赤は『危険』と書いてあり倒壊の危険がある建物で黄色は『要注意』で損傷があるため注意が必要、緑はなんて書いてあったか忘れたが損傷が少ない。たぶんそんな感じの分け方だったと思う。倒壊して屋根だけしかないのに屋根に貼ってあったのが印象的だった。 その後、きちんと調査し、全壊・半壊・一部損壊に分類され、罹災証明書が発行された。 その分類でその後の見舞金等の処遇が大きくかわるので異議申し立てがある人は再調査してもらえる。 ゴミは当初収集は見合わせており、柏崎のゴミ処分場の煙突が破損した事もあり周辺地域の処分場に運んで処理するまで自分の家での保管となり、各家ペットボトルの量は大量になっていた。 不燃ゴミ、粗大ゴミも大量に発生しており、市内の大型工場跡地に持っていき、罹災証明があれば無料で引き取ってもらえた。これに便乗して普段使用していないテレビや冷蔵庫などもまとめて廃棄する家も多く、処分場にはテレビ・冷蔵庫・洗濯機の山が・・・ ガス・水道等関東・関西など県外からも多くの復旧業者が入りライフラインの復旧を第一に朝から夜まで頑張っていた。とても感謝しています。 また、国道は毎日すごい渋滞で会社に行くにもいつもの倍近い時間がかかった。 避難所には有名人が多くお見舞いに来てくださった。しかしあまり情報が伝わっていないのか事後新聞を見て知ったと言う事が多かった。 毎日テレビでは柏崎・刈羽・西山地区の被災現場が報道されているがほぼ決まった場所が多かった。また、活断層についての報道が多かったが中越地震から3年しか経っていないのにまた近くで大地震が起こることなぞ誰も予想していなかったと思う。 瓦屋根は屋根のてっぺんの「ぐし」とよばれるところが落下した家屋が多く、ビニールシートをかけた家屋が多く見られた。 電気・ガス・水道の復旧工事は急ピッチで進められ、クレの家では電気は停まらなかったが水道は数日ガスは約一ヶ月くらいで復旧したと思う。 主要道路については早急に復旧されたがその他特に歩道は復旧が遅れ一年近く経った現在も手付かずの箇所もある。 しかも一度直したマンホール周りの陥没等は日にちが経つにつれてまた同じように沈下する事が多く注意が必要であった。 クレの家のリフォームの最後の、完成見学会では被災された方も多く来ていたようだ。 倒壊した家屋の撤去作業が市内あちこちで行われており、複雑な心境であった。 仮設住宅の建設が市内各所ですすめられ、避難所で生活している方も仮設住宅へ引っ越した。 クレもボランティアで引越しの手伝いに行った。 ボランティアの方は県内外から多くの方が見えられ、本当に感謝したい。 約一年経った現在も仮設住宅にお住まいの方も多いほか、家の建替え・リフォームをしている家、道路・防波堤などの土木関係の復旧工事がすすめられている・・・
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